病気がわかってから、4年にわたりコツコツと続けられた父の終活は、今年の冬に幕を閉じました。
遺された母と私は、ただひたすらに父の準備した内容にしたがい、ひとつひとつの物事をこなしていきました。それはとても悲しい時間でありながら、心配性で人への気遣いを大切にする父の、「父らしさ」を再確認し、「お父さんって、本当にすごいね」とため息の出るほど、用意周到な父に感服する時間でもありました。
死を身近に感じ始めてから父は、まずお葬式に関することをすべて手配してくれる会社に申し込みをしました。父の希望は地元である松原で花に囲まれる家族葬と粉骨で弔うことでしたが、まだ父が元気に動ける時期に、すでにその話は聞いていて、「こういう形にするから」と言われていました。
旅立ちの後、母に見せられた手紙には葬儀の規模や、花や食事に関すること、葬儀後の処理について、細かく書き記してありました。くれぐれも粗相のないように、こじんまりと、でもみっともない形にしないように、父の希望を叶えるため、母と私は忠実にその指示にしたがいました。
さらに父は、母と私、自分の兄弟、母の実家、私の夫、子供にそれぞれ手紙を遺していました。
そこに記してくれたことで、父の優しさと気遣いを一番感じたのは、兄弟と母の実家に向けて「葬儀などに関して不備や失礼があったかもしれないが、自分自身が決めたことなので許してほしい」と書き添えていてくれたことです。
この言葉のおかげで私たちは母子は親戚から何も責められることなく、無事に葬儀を終えられました。私たち家族の負担が少しでも減るように考え抜いた父の心は、自分がこの世を去る時の手本です。